藩政改革と人材登用──井伊直弼が作った「考える藩」
彦根藩主・井伊直弼(いい なおすけ)は、藩主に就任したあと(弘化3年・1846年)、
外からの圧力と内政の混乱という二つの危機に立ち向かうために、
藩の仕組みを見直し、優れた人材を積極的に登用する改革を進めました。
その改革は、ただ制度を変えるだけでなく、
「どうすれば人が考え、動ける藩になるか」という思想に基づいていたのです。
藩政改革の基本方針──考える政治とスピード重視の体制へ

直弼が藩主になったとき、まずこう言いました。

善いことは取り入れ、悪いことは退ける。それが理(ことわり)の当然である。
これは、「今のままでは藩は持たない。迷っている時間はない」という決意の表れでした。
藩主の権限を強化して意思決定を早くする

直弼は、以前の藩政が「家老たちの話し合いだけで進んでいた」ことに危機感をもちました。
そのため、意思決定を早くするために**「評定役(ひょうじょうやく)」**という新しい役職を作ります。
この評定役は、若手の有能な藩士を選んで藩主を助けるもので、
従来の「家老中心の評議制」を補い、より現実的で機動的な組織を目指しました。
また、直弼は「最終判断は藩主が責任をもって下す」という立場を明確にしています。
側近の登用と家老制の見直し
藩政の実務では、**側役(そばやく)**と呼ばれる近習(側近)を重視しました。
三浦帯刀左衛門、西郷民部、藤波次郎太夫など、
現場感覚のある藩士を信頼して意見を聞き、柔軟な運営を進めています。
家臣への訓戒と教育改革──「知と忠」を備えた人を育てる

嘉永3年(1851年)、直弼は藩主としての基本方針をまとめた**『御書付』(御書付之写は彦根市立図書館所蔵)**を家臣に渡しました。
そこには、次のような信念が記されています。
- 国を支える自覚を持て。
家老をはじめ藩士全員が、「衆心合体」して幕府の御用を守り抜く意志を持つこと。

「衆心合体」とは藩主の目指す政治的目標を達成するために、家臣団全体が心を一つにし、藩政に取り組むことを意味するのじゃ。
- 忠義と学問の両立。
忠誠の心を持ちながら、常に知識を磨き続けること。 - 日本の学問を重んじよ。
「日本の書物」「井伊家の伝統書」を学び、国の本質を理解すること。 - 文武両道を大切に。
学問だけでなく武芸にも励み、心身の鍛錬を怠らないこと。 - 優秀な人材を積極的に登用する。
若い藩士には学問と武術の両方を教え、才能に応じて抜擢する。
こうして、彦根藩の教育と人材育成が大きく動き出しました。
人材登用の具体例──身分より実力を重んじる藩政へ
直弼は「家柄よりも実力」を重視しました。
その象徴が、次の三人の登用です。
長野義言(ながの よしとき)
藩校「弘道館」の教授であり、外交や国防に詳しい人物でした。
ペリー来航時には、海防警備の現実性を指摘し、西洋の知識を導入した実践的提案を行いました。
直弼は長野の考えを高く評価し、のちに開国政策でも相談役として重用します。
宇津木景福(うつき かげよし)
若い頃から直弼の側近として働き、江戸湾の警備や相模の防衛などを任されました。
反対する家老が多い中で直弼の信任を得て、
現場での実務能力を発揮した実行派です。
中川禄郎(なかがわ ろくろう)
弘道館教授で、学問だけでなく洋学にも通じた人物。
彼が提出した意見書**『芻蕘之言(すうじょうのげん)』**は、
開国に向けた大胆な提言として直弼を動かしました。
身分制度の見直しや教育の改革など、未来志向の考えが多く含まれていました。
教育の場「弘道館」の改革

藩士教育の中心である「弘道館」も大きく変わりました。
直弼は、「上の者ほど学ばなければならない」と考え、
家老自身に学問を奨励しました。
1850年には学頭(校長にあたる役職)を刷新し、
政治と教育が一体となるように方針を定めています。
弘道館は、単なる学校ではなく、「考える藩」を支える頭脳の場となっていきました。
経済と民政の改革──人を生かす政治へ

直弼は政治だけでなく、藩の財政と民政にも目を向けました。
- 財政の立て直し: 無駄を省き、支出を引き締める。
- 救民策(土民撫育): 困窮した農民に米を配り、生活を支える。
嘉永4年(1851年)には「救い米一万両」を配布しています。 - 領内の巡見: 自ら領内をまわって人々の暮らしを直接見聞きしました。
このように、直弼の改革は机上の政策ではなく、
現場を見て判断する実地型の政治だったのです。

まとめ──考えて動く藩へ
井伊直弼の藩政改革は、
「命令で動く藩」から「考えて動く藩」への転換でした。
彼は、
- 決断の早い政治、
- 教育による人づくり、
- 身分にとらわれない人材登用、
を通じて、藩の知と力を高めていきました。
こうして整えられた体制こそ、のちの**「幕府の大老」井伊直弼**を支える基盤になっていったのです。
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