井伊直弼の藩政改革【前編】彦根藩主就任と財政再建・弘道館改革による基礎固め
安政の大獄や開国の決断で知られる井伊直弼(いい なおすけ)ですが、その出発点は「一地方藩主としての藩政改革」でした。
兄・直亮(なおあき)のあとを継いで彦根藩主となった直弼は、派手なスローガンよりも、まず「家中の引き締め」と「領民・財政の立て直し」に力を注ぎます。
本稿では、
・藩主就任時の「御書付」八か条
・飢饉下での領民救済と財政・行政改革
・藩校「弘道館」の見直しと教育政策
を手がかりに、直弼がどのように藩政の土台を築き上げていったのかをたどります。
結論として、直弼の藩政改革は「派手な改革」ではなく、
家中引き締め・財政再建・教育強化という地道な基礎固めに徹したものでした。
井伊直弼の評価だけでなく、彦根藩主としてどのような藩政改革を行ったのかを知りたい方に向けてまとめました。

1 井伊直弼の藩主就任と改革方針の確立(嘉永4年・彦根藩)
嘉永4年(1851)、井伊直弼は兄・直亮の死を受けて藩主の座につきました。
このとき直弼が最初に手がけたのは、大きな声で「改革」を掲げることではなく、藩の空気を引き締め、基礎から立て直すことでした。
服喪中という制約の中でも、直弼は必要な処分や指示を進め、早くも自らの改革姿勢を家中に示し始めます。
服喪中に示された「改革の姿勢」
「善ラ取、悪ラ退ケ候は理の当然、依て改革改正などと申す名ハ暫ク申さず方しかるべし」
井伊直弼は、先代・直亮の死去後、藩主に就任する直前に三浦・大鳥居へ次のように述べました。
服喪中のため政務は控えるが、必要な事には指示を出す。そして「善い者は登用し、悪い者は退けるのが道理。『改革』という名を掲げずに実行するのがよい」と。
つまり、口では「改革」を叫ばずとも、不忠な家臣の処分を行い、実質的に改革を進める姿勢を示したのです。
不忠家臣の処分と基盤の引き締め
まず処分されたのは在藩の要職3名でした。続いて家老・木俣土佐(守易)も厳しく調査されます。
嘉永3年(1850)10〜12月にかけて目付役の意見を聴取し、罪状の確認と先例との比較を行ったうえで、翌嘉永4年(1851)2月2日に隠居と職務停止を命じ、17日には松原村の下屋敷に謹慎処分としました。家老としては極めて重い処罰でした。
「御書付」八か条の公布
藩主就任から11日後の嘉永4年12月2日、直弼は家中に八か条の御書付を出しました(彦根市立図書館蔵「御書付之写」)。
八か条の要点
- 家風の尊重と一致団結
井伊家の伝統を守り、文武に励み、領民を思いやる。藩主と家臣・領民は「水魚の如く一体」となり、心を合わせて奉公に努める。 - 意見具申の奨励
事なかれ主義を捨て、遠慮なく意見を述べる。 - 能力本位の登用
家柄にこだわらず、すぐれた人物は重用する。 - 弘道館(藩校)の充実
教育を通じて国(彦根藩)のために尽くす人材を育て、師範は生徒を自分の子のように教える。 - 文武鍛錬と若者教育
常に身体を鍛え、戦時に備える。若者の教育は家族が責任を持ち、文武両道に秀でた者は特別に処遇する。 - 家芸・技芸の継承
家芸を持つ家は子弟教育に力を入れ、適任者に継承させる。 - 迅速な伝達・決裁
急を要する事案は昼夜を問わず伝える。 - 統率と礼儀
奉行や物頭(ものがしら)は清廉で公正な命令を行い、上下の秩序を保つ。 - 目付役の重視
目付は藩主の代理(目代)として、えこひいきなく公平を守る。
八か条が示す直弼の改革思想
- 一体性の重視:上からの押しつけではなく、藩主と家中の協力によって改革を進める姿勢。
- 言路開放:意見具申を奨励し、家中の責務とした。
- 努力の評価:成果を挙げた者への褒賞や登用を明示し、士気を高めた。
- 教育改革:家中・家族・師範の役割を明確化した。
- 目付制度の強化:藩主の「目代(もくだい)→代官」として政治意識の共有を求めた。
直弼の初動は、派手な言葉より「具体的行動」を優先するものでした。
この段階で家中に示した厳格さと実務重視の姿勢が、その後の改革を支える土台となっていきます。
2 領民救済と財政・行政改革(飢饉下の藩政再建)
藩主としての基礎方針を固めた直弼が次に取り組んだのは、藩政の根幹である「領民と財政」です。
不作と疲弊が続いた彦根藩では、領民救済と財政再建の双方が急務でした。
直弼は、父の先例を踏まえながら、実利にかなう施策を次々と実行していきます。
士民撫育策(遺金下賜と救い米)

同日、直弼は前藩主・直亮の遺志として、家臣や領民へ遺金を配るよう命じました。
総額15万両(年貢収入に相当)とする説もありますが、実際は藩財政が厳しく、郷方・町方への配布は約3,000両と考えられます。
この遺金下賜は、父・直中が寛政元年(1789)に行った先例にならったものです。直亮の遺志としたのは直亮が直弼を世嗣とした恩に報い、新しい時代の幕開けを士民に実感させようとしたのでしょう。
さらに、この年は不作だったため、救い米1万俵の配布も命じました(「井伊直弼直書写」内片徹氏文書)。
巡見と地方行政の立て直し

嘉永4年(1851)3月、直弼は相模湾の警備地を巡視しました。5月には江戸を発ち、井伊谷を経て6月11日に彦根へ初入部します。
着任後まず手がけたのは財政再建です。8月15日に代官役を増員し、勤務基準を享和元年(1801)「御代官勤向御条目」へ戻すよう指示しました。
財政再建と「直吟味」体制の確立
また、筋奉行や郷宿などの利権を是正し、「直吟味(じきぎんみ)」体制を確立しました。
郡内の年貢管理・村役人の監督・争論処理など、地方行政の中心役。
村役人や百姓が公事(くじ)訴訟その他の公用で城下または代官所へ出向く場合に宿泊する宿屋
さらに9月には愛知・神崎郡の村々を巡見し、安政4年までの間に9回の領内視察を実施しています。
これらの巡見は、形式的な儀礼から、領民の生活を直接見て統合を図る政治行動へと進化していきました。
飢饉下での救済、巡見による現場把握、そして行政の「直吟味」体制。
これらの施策は、領民に対する安心感と、藩政の立て直しという二つの効果をもたらしました。
直弼の改革は、机上ではなく現場を見据えた「実務改革」であったことがここから分かります。
3 藩校「弘道館」の改革と教育政策(彦根藩の士風刷新と師範強化)

直弼の改革は、藩政や財政だけではありません。
藩を支える人材を育てる「教育」こそ、長期的な藩の命運を左右すると考えていました。
そこで直弼は、藩校「弘道館」の見直しに乗り出し、家老らに実態調査と改革の実行を命じます。
藩校の再建と家老への改革命令
嘉永4年11月10日、家老・庵原助右衛門と家老見習・西郷軍之助に対し、創設当初の精神に立ち返り、徹底的に実態を調べるよう命じました。以後は家老が責任者となり、政治と同様の心構えで改革にあたりました。
長野義言の提案と教育理念
嘉永5年6月4日には家老・長野伊豆にも「弘道館御用向」を命じ、さらに体制を強化します。長野義言の「弘道館御改革御趣意書稿」に記された提案が採用された可能性もあります。
士風刷新と儒者への待遇改善
一方、中川禄郎は同年12月、家老への上書でこう述べました。
「近ごろ生徒の忠孝の風が衰え、人材が乏しいのは師範の責任であり、生徒の咎ではない」。
藩主・家老らがまず率先して学び、好学の気風を自然に広めるべきだと訴えました。
改革建議(要点)
- 教導方の規定を改革し、旧弊を改める。
- 奢侈を禁じ、文武に専念させる。
- 家格・役職に応じた学事を重視する。
- 士風を正し、国の役に立つ教育を行う。
- 「日本之書籍」「御家之書物」を重視する。
- 人材登用と、才気に応じた教育。
- 三十歳以上の者にも文武芸を励ませる。
- 家芸師範家の世襲を改め、優れた者に師範を譲る。
- 儒者の待遇改善と大儒の招聘。
直弼自身の臨館による指導と監督
藩主みずから教育現場へ
弘道館頭取の常勤化が命じられ、直弼自身もしばしば臨館し、稽古の様子を視察しました。藩主自らが教育改革の先頭に立ったのです。
弘道館改革は、制度改正だけではなく「士風の刷新」をめざすものでした。
直弼自身が何度も藩校に足を運び、学びの現場を確かめたことは、教育こそが藩政の根幹だという彼の信念を物語っています。
4 まとめ──藩政改革の基礎固め


まず足元を固めることこそ政治の基本
兄・直亮の死を受けて藩主となった井伊直弼は、派手な改革スローガンを掲げるのではなく、
・不忠家臣の処分と「御書付」八か条による家中引き締め
・飢饉下での遺金下賜・救い米と、代官・筋奉行・郷宿の立て直し
・藩校弘道館の再建と、藩主みずからの臨館による士風の刷新
といった、地味ながらも確実な「足元固め」に取り組みました。
そこには、
・藩主と家臣・領民が「水魚の如く一体」であるべきだという一体性の発想
・意見具申を奨励し、努力と成果を正当に評価しようとする姿勢
・教育を藩政の根幹ととらえ、次世代を育てることを最重要視する考え方
が一貫して見られます。
こうした彦根藩での実務改革と教育重視の姿勢は、のちに「人材登用」へとつながっていきます。
【後編予告】
本稿の後編では、井伊直弼の改革を支えた二人の側近――
国学者・長野義言と、実務官僚・宇津木景福に焦点を当てます。
「思想面のブレーン」と「現場に強い実務家」という対照的な二人を、直弼はどのように見極め、どのように登用していったのか。
また、その人材登用は、のちに大老として幕府政治を担う際にどのような影響を与えたのか。
直弼の“人を見る目”を読み解く後編へ、どうぞ続けてお進みください。
▶ 続きはこちら:
井伊直弼の藩政改革と人材登用【後編】長野義言・宇津木景福――思想ブレーンと実務官僚
