井伊直弼はなぜ開国を選んだのか?ペリー来航と「別段存寄書」に見る戦略
幕末──日本は歴史の大きな岐路に立たされていました。
黒船が浦賀に姿を現し、攘夷か、開国か。
国の未来をめぐる激しい議論が巻き起こるなか、
一人の男が静かに、しかし揺るぎない決意をもって動き出します。
それが、大老・井伊直弼です。
多くの藩主が「攘夷」を唱える中、
直弼は「開国」を選択しました。
しかしそれは、屈服でも妥協でもありません。
時間を稼ぎ、国力を養い、未来を守るための“戦略的開国”
意見書の提出、江戸湾防備、品川台場の築造──
直弼が見据えたのは、数十年後の日本の姿でした。
本記事では、井伊直弼がどのような判断を下し、
いかにして「開国」という重大な選択に至ったのかを、
史料と図解を交えてやさしく解説します。
ペリー来航に対する井伊直弼の対応
一時的な開国と海防強化で国を守った戦略
井伊直弼(いい なおすけ)は、ペリーの来航という大事件に対し、単に意見を述べるだけではなく、

開国を時間稼ぎと国力充実の手段とし同時に海防を強化する
という、現実的で戦略的な行動を取りました。
直弼の意見書と「一時的な開国」方針

嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が浦賀に来航すると、幕府は諸藩に意見を求めました。
直弼は彦根藩主として、次の2つの意見書を提出します。
- 初度存寄書(しょどぞんじよせがき)
- 別段存寄書(べつだんぞんじよせがき)
「別段存寄書」——唯一の積極的開国論
諸大名が多く「攘夷」や「開港反対」を唱える中、
直弼は唯一、全面的な開国を主張しました。
井伊直弼の戦略的開国の中身

戦わずに時間を稼ぎ、国力をつける
という現実路線でした。

具体的には以下の方針です。
● 開国は一時的な手段
緊急事態に対応し、戦争を避けるための手段。
● 国益を守る外交
アメリカの要求には一定の理解を示しつつ、
不利な条件では交渉しない姿勢。
● 最終的には鎖国に戻す
海軍や軍備を整え、
将来的には再び鎖国を復活させるという考えでした。

「今は力を蓄えるために開く、備えが整えば閉じる」
──これが直弼の現実的な戦略でした。
2. 言うだけでなく行動した海防政策
直弼は意見を出しただけではありません。
実際に江戸湾防衛の任務にも就きました。
江戸湾の海防担当
- 嘉永6年7月23日
羽田・大森周辺の防衛を担当
品川台場(お台場)の建設に関与

- 海防強化のための品川台場築造に関わり、
意見書を提出し、計画を後押ししました。
※現在のお台場の原型となる防衛施設です。
軍備強化の必要性を強調
「初度存寄書」では、
鎖国体制を守りつつ軍備を強化する必要性を強く訴えています。
まとめ|直弼は「消極的開国」ではない
井伊直弼の開国政策は、
単なる外国追従でも、弱腰外交でもありませんでした。
- 別段存寄書で示した一時的な開国
- 時間を稼ぎ、軍備を整えるという戦略眼
- 品川台場を築き、江戸を守るという実行力
直弼は「守るために開く」という、
当時としてきわめて現実的な国家戦略を示した人物でした。
歴史に「もし」はありませんが、
もし彼が長く政治を担っていれば──
日本は異なる道をたどっていたのかもしれません。
幕末の動乱を読み解く鍵は、
単純な賛否ではなく意図と背景を見つめることにあります。
私たちは、直弼の決断から
「危機の時代にどう判断すべきか」という教訓を学ぶことができます。
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