中編:富田城奪還──尼子経久の奇策と知略による下剋上
富田城を追放された経久にとって、この戦いは人生の再起戦だった
富田城を追放された経久の挫折

命令違反と失脚
若き日の尼子経久は、主家・京極氏の命令に背いたため、出雲・富田城を追われました。
この追放は単なる処罰ではなく、経久の野心がすでに顔を覗かせていたことの証でもあります。
放浪と僧形の生活
城を失った経久は諸国をさまよい、ある寺に身を寄せて僧の姿で暮らしました。
「喪家の犬」と揶揄されるほど憔悴した姿だったと伝わりますが、その胸の奥には「必ず富田城を奪い返す」という執念が燃えていました。
この屈辱の時代が、彼を知略に富む武将へと鍛え上げたのです。
山中一族との再会と決起

山中入道のもてなし
放浪の果てに出雲へ戻った経久は、旧知の山中入道を訪ねました。
やせ細り、往時の面影を失った経久を見て、山中夫妻は涙を流しながら迎え入れ、粗末ながら温かな食事と酒でもてなしました。
炉端の炎とにごり酒に癒やされながら、経久の心には再起の誓いが固まっていきます。
再起の誓い
経久は「なんとしても富田城を奪還し、この国を取り戻す」と語り、山中一族と共に謀を練り始めました。
ここから、伝説の奇策が生まれるのです。
奇策「正月の万歳」と富田城奇襲

非人・賀麻一族との密約
経久は、出雲の穢多の頭・賀麻に密かに協力を依頼しました。
計略は大胆にして巧妙──「正月の万歳を、例年より早く始めよ」というものです。
守備兵が見物に出た隙を突き、城へ侵入する狙いでした。
火計と夜襲の開始

文明18年正月。賀麻一族が太鼓を打ち鳴らし、舞を始めると、城兵たちは「今年は早い」と二の丸へ集まり見物に夢中になります。
その瞬間、経久の一党は搦手から塀を越え、城内各所に火を放ちました。
「夜討ちだ!」と叫ぶ声と炎に包まれ、富田城は瞬く間に混乱へと陥ります。
城内の混乱と塩冶掃部助の最期
奮戦するも討死

守護代・塩冶掃部助は動揺する兵を叱咤し、長剣を振るって奮戦しました。
しかし四方から襲い掛かる兵に抗しきれず、ついに壮絶な最期を遂げます。
経久の勝鬨
経久はその首を掲げ、「当国の守護職・塩冶掃部助を、尼子経久が討ち取ったり!」と大音声で叫びました。
この一喝に城内の兵たちは総崩れとなり、富田城は経久の手に落ちたのです。

富田城奪還が意味するもの
富田城を追放され、一度は僧形に身をやつした経久が、ついに知略で城を奪還しました。
この勝利は、彼にとって出雲の支配者としての再出発であり、後の中国制覇への第一歩でもありました。
知略による下剋上の成立
富田城奪還の一連の戦いは、まさに「力による下剋上」でした。
守護家や将軍の承認を経たものではなく、奇策と計略で勝ち取ったものです。
尼子経久の名はここに刻まれ、以後、彼は戦国乱世を代表する「知略の武将」として歩み始めました。

[…] 富田城を奪還した尼子経久。しかし、それは出雲制覇への序章にすぎませんでした。本稿では、経久がいかに抵抗勢力を分断し、出雲守護へと台頭していったのかを追います。 […]