第2回:藩政改革と名君の素顔 ― 井伊直弼、その知られざる決断力

「悪名高き大老」の若き日々を、あなたは知っていますか?
桜田門外の変で命を落とした井伊直弼――その名を聞けば、「安政の大獄」「強権政治」など、冷徹な支配者という印象を抱く方も多いでしょう。
しかし、その素顔はまるで違っていました。
若き日の彼は、政治に誠実に取り組み、文化を愛し、藩の未来を思って汗を流す一人の為政者だったのです。
今回は、彼が藩主として過ごした彦根での日々に焦点を当て、その知られざる「名君としての顔」に迫ります。
Contents
「埋木舎」に暮らした十四男
直弼は、彦根藩主・井伊直中の十四男として生まれました。
家督を継ぐ可能性がほとんどなかったため、**埋木舎(うもれぎのや)**と呼ばれる邸宅に引きこもるように暮らし、学問と武芸に打ち込んだと言われています。
直弼の和歌:「世の中を よそに見つつも 埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」
この和歌に込められたのは、「出世も名誉も求めず、静かに生きる決意」。
しかし、時代の荒波は直弼を見逃しませんでした。
なぜ彼が藩主に?
兄たちが相次いで早世したことで、直弼に藩主就任の機会が巡ってきます。
嘉永3年(1850年)、35歳で井伊家を継ぐと、すぐに藩財政の立て直しに乗り出します。
井伊直弼の藩政改革 ―「清貧の治政」
主な改革内容
- 藩士への支給削減(倹約令)
扶持米(給与)を引き下げ、藩財政を健全化。 - 無駄な支出の削減
祭礼の簡素化や、藩主の生活費も見直されました。 - 名産品「みそ漬け」の販売廃止
「士道にそぐわない」として、物販収入を自ら断つ決断をします。
改革に込めた思い
直弼の改革は「藩を守る」ためだけではありません。
**「武士たるもの、質素と自律をもって民を導くべし」**という思想が貫かれていました。
財政の数字だけでは測れない、倫理観に根ざした政治だったのです。
民の目に映った「名君」
直弼の治政は、必ずしも“人気政治”ではありませんでした。
倹約令や給与カットは、藩士たちに不満をもたらします。
しかし一方で、
「殿様自らが率先して質素な生活をしている」
「みそ漬けの利益まで断ち切る潔さ」
など、誠実な政治姿勢は民衆の支持を集めていきました。
特に、彦根の町民からは「誠の殿様」として語り継がれたとされます。
現代に残る「清貧の記憶」
現在、彦根には直弼ゆかりの「埋木舎」が残されています(▶アクセス情報はこちら)。
四畳半の書斎で静かに暮らした青年が、藩政改革に命をかけ、後に幕府の要職に就く――
この場所には、誠実な政治とは何かを問う物語が眠っているのです。
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✍ まとめ:井伊直弼のもう一つの顔
安政の大獄や開国政策で激しい批判を浴びた直弼。
しかしその一方で、実直で誠実な政治家として、地方統治の現場では信頼を築いていた事実も忘れてはなりません。
直弼を一面的に「悪役」として見るのではなく、
その内面に潜む“名君の素顔”にも目を向けてみませんか?